先月中旬に、同級生から「この前貴男の村を通ったよ!とっても良い環境で育ったんだね~」という内容のメールを送ってくれた。
実は、十数年前にも宮崎在住の同級生から、同じ内容の電話を貰ったことがある。
当時(昭和30年代)は『陸の孤島』と呼ばれていて、とてつもない辺鄙な集落であった。何故、こんな不便な集落を通るのか想像もつかなかった。
この二人の話を推察・統合すると.....『野尻』から『小林』に向かう進路の選択にあるようだ。
野尻『追分』から県道29号線で『高原』に向けて左折して、目的地の『小林』への道順である。
野尻『追分』から県道29号線で『高原』に向けて左折して、目的地の『小林』への道順である。
この県道29号線は、母校の中学校~東猿瀬~西猿瀬~を通り、ひたすら西に向かって走ると岩瀬川の『猿瀬発電所』に差し掛かる(下記写真)。
更に、その集落を突き進むと突然視野が広がって『霧島連峰』が(マップ上の赤色十字星辺りで)目に飛び込んでくる。
この光景に感動して、電話やメールをくれたようである。
更に、この道を直進すると『岩瀬橋』の手前1km弱の『T字路』へと繋がる。
この道は信号機も少なくて『小林』への近道になるのかも?
この道は信号機も少なくて『小林』への近道になるのかも?
一方、野尻『追分』から、国道268号線を選択して『小林』に向かうと、ゆ~ばる野尻~大脇~栗須小学校~『野々先バス停』~瀬戸の口~岩瀬橋~小林へとつながる。
下記の写真は、宮交バスの『野々先バス停』から10mほどの西側で車を止めて南側の山並みを撮影したものである。
この山が『霞ヶ丘』と呼ばれており、小学校の校歌の一番の歌詞に『♪~霞ヶ丘に花笑い 岩瀬の川に月浮かぶ~♪』とある。
この山並みの向こう側に私が18年間お世話になった集落がある。
写真の山頂に『十字星』のマークで『峠』と『霞ヶ丘神社』を表記している。
写真中央部に小さく表示している『赤色十字星』マークが、先述の猿瀬発電所を経由してきた場所に当たる。
写真の桃色点線が、当時、唯一『車輪の付いた乗物』が通れる道路であった。
写真眼下に広がる集落が『湯之元』と呼ばれる開拓地である。
この地は昭和21年に開拓者として30数世帯が入植し荒野を耕した。
その中の1世帯に我が一族も含まれていた。
物心が着いたころには、18世帯が暮らしていたが、現在は5~6世帯になったようである。
現在、この『霞ヶ丘』への道は立派な舗装道路になっているが、当時は『けものみち』であった。
この集落から小学校へ通うには、この峠を越えて『野々先バス停』まで歩き、さらに東に向かって3kmほど歩かなければならなかった。
小学校まで、どんなに急いでも1時間半は掛かっていた。朝8時には小学校の授業が始まるので、遅くても6時半には家を出ないと間に合わない....。
夏の季節はいいのだが、今の季節の6時半はまだ薄暗い。
薄暗い中で『けものみち』を、ただひたすら歩かなければならない。
薄暗い中で『けものみち』を、ただひたすら歩かなければならない。
霞ヶ丘の山を越えるだけで、子供の足だと40分は掛かる。
山を下りて平坦な道になると、上級生が一斉に無言で速く歩き始める.....。
山を下りて平坦な道になると、上級生が一斉に無言で速く歩き始める.....。
1~2年生は、置いていかれるので何時も『小走り』で付いていかなければならない....4~50分ほど走りっぱなしである。
『野々先』バス停から東に向かって歩いていると『バス』に追い越される。
その追い越された場所によって遅刻するのか間に合うのかの判断をする。
その追い越された場所によって遅刻するのか間に合うのかの判断をする。
遅刻するとなると上級生がさらに速足になってくる....。
当然1~2年生には過酷な条件なが強いられてくるのだが、誰一人として泣き出す子はいなかった。
【追記】上記写真はいづれも2008年4月に帰省した時に撮ったものです。
4枚目の写真(『霞ヶ丘』の頂上)には『桜の木』が植えてあり、その枝の一部が写真手前に写っています。
昨年は『20日会』の元幹事長が「霞ヶ丘の桜が満開になったぞ~!」と教えてくれました。
桜の季節には、是非この場所に行ってみてください。(vol.1572)【Kー正人】
当然1~2年生には過酷な条件なが強いられてくるのだが、誰一人として泣き出す子はいなかった。
【追記】上記写真はいづれも2008年4月に帰省した時に撮ったものです。
4枚目の写真(『霞ヶ丘』の頂上)には『桜の木』が植えてあり、その枝の一部が写真手前に写っています。
昨年は『20日会』の元幹事長が「霞ヶ丘の桜が満開になったぞ~!」と教えてくれました。
桜の季節には、是非この場所に行ってみてください。(vol.1572)【Kー正人】
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