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古稀脳活72

                    ブログタイトルの『古稀脳活72』は ”ボケ防止と脳活性化” のために72歳から開設するという意味である。                                                                今後、何年ブログを継続できるか自分自身との闘いであり、またそれが励みになり老後の楽しみでもある。

遠い昔の思い出!!~~高千穂峡~~
2021年12月31日 【Ⅿ-民子】



おはようございます。
今年も残り少なくなりました。
あなたが産まれ育った『湯之元』集落の記事、興味深く読ませて戴きました。
そして遠い昔に想いを馳せました。

50数年前~~
大学を卒業し、赴任したのが高千穂の地(高千穂の峰ではなく高千穂峡)。
今は高千穂町になっていますが、当時は上野村(かみのむら)でした。
野尻よりずっとずっと山の中。
赴任先は~~
延岡から日之影~高千穂~上野~高森へとバスが通っていたので僻地にはなっていませんでした。 

びっくりしたのは家庭訪問~~
一軒一軒、児童の家を回るのですが、もちろん車は持っていません。
子供達と歩いて。
「あなたの家はどこら辺❓」と 尋ねると、「あの山の向こう側」だって!!
こんな遠くから毎日、毎日。
重いランドセルを背負って学校へやってくる子に、「宿題忘れてた」とか「宿題やってない」とか言って叱っていた新米先生の私。
なんだか申し訳なく思ったものです。

Kー正人さん、あなたも....こんな所だったのですね〜。 
話を戻しますが『湯之元』だから温泉♨️があるのですか♨️❓
 
【質問に答えて~~】
ご質問の『湯之元』という集落名は、『岩瀬川』沿いに『東柿川内』という集落があります。
その集落に『柿川内温泉』という『温泉(冷泉)』が、湧水していて『湯治場』となっていました。
その『湯治場』には『6畳』ぐらいの部屋が7~8室あり、自炊をしながらの湯治客がほぼ満室の状態で生活していました。

その
『柿川内温泉』の冷泉が湧き出る、渓谷(崖)の上に集落があったので『湯之元』となったようです。
小さい頃、親に連れられて急勾配の『けもの道』を20~30分歩いて、月1回ほどこの温泉に行きました。
 
【写真】①高千穂峡入口の車道から撮影(2008.04撮影)
上野高森地区の航空写真(グーグルマップから転用)
写真上でクリックすると拡大します。
(vol.1573)【Kー正人】


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