平成19年は忘れられない年である。
故郷の病院にM・民ちゃん K・洋子ちゃん そして私3人の母が偶然に同じ病院に入院していた。
私は母の看病のため帰省していた。
3人ともY・正義先生が恩師である。あるとき「Y・正義先生の家に行こう」と言う事になった。
小林まで来たとき「Y・哲幸さんに電話してみるわ」と民ちゃん.....電話するとなんとすぐ近くにいると言うことで、直ぐに合流して先生の家に向かった。
先生の家は市街地から暫く奥に入ったところにあり、杉林の中にあって別荘のような立派な家である。
真夏でも『えびの高原』のような涼しさだとか....菜園や茶まで植えられていた。
庭には、大きな庭石が『で~ん』と居座っていた。
この石はも少し動かしたかったけどドゲンしてん、コゲンしてんビクッとも動かんで「この石はここがよかとじゃろ」と言う事になり「此処に置いてくんやっせ」 と造園師の人に頼んだとか。
庭には、薄紫の花が一面に咲いていた。
先生ご夫婦は突然の私たちを快く迎えて下さりもてなして下さった。
この時の写真には今より若い皆が、先生ご夫婦を囲んで写っている。
その年の11月、名古屋で同窓会が開かれるということで、K・洋子ちゃんと私は『出席する』ことにしていた。
しかし11月初めにK・洋子ちゃんのお母さん、そして程なくして私の母が天寿を全うした。
私は『こんな時に同窓会に出席してよいものだろうか?』.....とためらったが、実家の者も「気にせんでいいが ちゃんと看病もしてくれたんだから 同窓会に行けば良かがねぇ」と背中を押してくれたのだった。【H・靖子】(vol.1516)
【写真】1枚目:名古屋同窓会の『しおり』 2枚目:野尻の幻想的な雲海(H・靖子さん撮影)。
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